余談の部屋 【 R-TYPE.classic 】

なにもがすべて なつかしい

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04.05.03-05

時間が少し経ってしまったが先の闘劇に関したことをまとめてみようと思う。

今回ウメハラは2タイトルにしぼり、昨年よりは集中的に練習して大会に臨んだ。ヌキも団体戦に的を絞り、それぞれ磐石のメンツを組んでやり込み不足対策として臨んだように見えた。この二人の存在は闘劇でも非常に特殊で、俺は今回の闘劇をこのウメヌキ中心に考えてみたんだ。

さてふたを開けて見るとウメヌキともに入賞ゼロ。この結果は今回の闘劇で大きな意味を持つと思う。これまではどんな状況だろうと、他に誰が参加していようと問答無用で上位に食い込んでいたウメヌキ。確かに共にいつも通り、人智を超えた動きを見せなかったわけではないが、それでも入賞には届かなかった。
この結果には時代の移り変わりと、現在の格ゲーの持つ特性が大いに語られているように感じる。

一つは二人とも大人になったということ。ある意味何も考えずに対戦だけをしていれば良いという時期を終えて、日常との兼ね合いの中で格ゲーを続ける環境になった。それにともない思考の中にも大人としての迷いや、丸さが生まれたのかもしれない。日常的に見ればそれは良いことであると思うが、こと対戦においては純粋に勝利を求める状態こそが一番結果を生みやすい。そう考えるとウメヌキの思考は一昔前と比べると対戦向きな状態ではなくなっているかもしれない。

もう一つの要因は現在の格ゲーの特性として、「誰にでもチャンスがあるようなシステム」が世間に受け入れられているという現実。恐らく、プレイヤーとしての能力だけならばウメヌキは今もトップ中のトップであると思う。その実力だけでは安定しきれないシステムやゲーム性が彼らの政権を揺るがしたように見える。格ゲーの歴史が深まれば深まるほど、当然としてガチガチの実力勝負をさせられるタイトルは世間から敬遠される。格ゲーが生き残る道としては当然の進化だとも思うが、その自由度の高さや偶然性は「本物の強さ」というものを薄れさせてしまうような気がしてならない。

例えるなら、今まで将棋では最強クラスだったウメヌキが、マージャンが主流の中で勝負をするようになって、安定した結果を残すことが難しくなっているんじゃあないか、ってことね。

当然二人とも現状に対応して安定する道を模索しているように見えるが、残念ながら今年の闘劇には間に合わなかったようだ。しかし、二人にやる気と時間があるならば、ウメヌキ時代が再来するのはそう遠くないようにも感じる。それだけのポテンシャルが確実にある。

俺は対戦で強い人間というのは本当にすごいと思う。だからウメヌキのようなわかり易い「本物の強さ」が今後見えにくくなっていくのは残念でならない。しかしそんな俺の心配はよそに、新たな時代の天才と呼ばれる人間が出てくるだろう。そのときにどんな駆け引きになっているのかが心配なんだ。

強さがわかりにくくなればなるほど世間の対戦の本質に対する評価も下がってしまうだろう。だからこそ、対戦の持つ真の良さが、やってない人にも伝わるような時代が来て欲しいと思う。あくまで理想だが。

色々な娯楽に手を出し、様々な楽しい経験をしてみたが、対戦の持つ魅力は非常に特殊でとんでもないものだと俺は思う。だからこそ、こんな勝手なことを思ってしまうのです。そればっかりはしょーがない。
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アールと呼ばれた男
  • Author: アールと呼ばれた男
  • ここにある文章は1999年に書いたものからあります。今見ると、恥ずかしい表現や拙い価値観も敢えて修正はしない。
    そう、敢えてだ。
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