余談の部屋 【 R-TYPE.classic 】

なにもがすべて なつかしい

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格闘ゲームは個人同士の対戦のため、知り会いでない限りは
赤の他人との対戦である。そしてハメや待ちなど、個人によって
多少認識の違いがあるため嫌われたり嫌ったりして敵ができることが多い。

地元のゲーセンでやっていたころは、嫌いなヤツによく勝手なアダナを
つけて仲間内で認識して、意識してそいつと対戦をしていたものだが
ハーフのランバトみたいになると、「みんなそのゲームが大好き」というのが
わかっているため中々、敵というものができなかった。

敵の存在というのは思いのほか大きく、憎いだけにえげつなくもなるし、
負けると何よりも悔しく、勝つまで連コインしたくなる。
そいつに勝つためだけにそのゲームを頑張ることまである。
長い目で見るとかなり自己成長の役に立つものであると思うのだ。

じゃあ、どっからが敵で、どっからが敵じゃないか?

俺の勝手な解釈だと、話をした時点でその人は敵ではなくなると思う。
話をしてしまうと相手の不安や思惑などがわかってしまうことが多く、
次の対戦から少し勝手が変わってしまうと思うからである。

最近は来ていないみたいだが、ランバトでの「サッサ」のあの何を考えているか
まったく分からない不敵っぷりはかなり良かった。
やつは敵ではないけどね。

サッサのような必要悪的存在は居たほうが絶対に活性化すると思うんだ。

あっ、俺にも一人居たか……。
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アールと呼ばれた男
  • Author: アールと呼ばれた男
  • ここにある文章は1999年に書いたものからあります。今見ると、恥ずかしい表現や拙い価値観も敢えて修正はしない。
    そう、敢えてだ。
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